夜想曲七番

 柳洞寺、地下。
 地下にこのような、と思わせる程に巨大な空間。
 大聖杯、その魔法陣を見下ろす淵に一人の少女とその従者が佇んでいた。
 彼らの視線の先には複数のホムンクルス達。白の修道女服とでも表現するのだろうか。()()()を隠そうという意思が感じられる程露出が極端にまで少ないメイド服――イリヤスフィール付きの侍女であるセラ、リーゼリットの物とデザインが同じだ――を着込んでいる。
 そして魔法陣の中央には女性。意思を感じさせない遠坂凛がいた。
 白の少女を抱える巨漢が口を開く。僧兵の装いをする彼は、日本人ならばすぐに思いあたるであろう人物。

「バーサーカー制御のための魔力供給。そのような大事なものを部外者の力に任せるのはどうかと思うぞ」
「ん? 仕方ないでしょ。あなたを維持して、戦闘用の魔力を残して、その上お爺様に供給していたらギリギリよ。だから、彼女に“協力”してもらうの。
 わたしが造ったあの『宝石剣』で“この世全ての悪(アンリ・マユ)”に侵されていない世界の大聖杯と接続して、そこから魔力を吸い出す。これなら一度道を開けば後はほっといても魔力が流れてくるわ。リン・トオサカの魔術回路の性能なら道の広さに問題はない。」
「それを、お前から彼に供給する、か。何故そのような手間を」
「保険よ。何か事故があってもわたしという防波堤があればお爺様に直接害が及ぶことはないの」
「……そうか」
「そうそう。――――ねぇ、リン・トオサカの様子はどうかしら!」

 少女が視線の先の侍女達に声を掛ける。彼女達は仕草で、問題ないと示した。

「重ねて問うが、彼女達で宝石剣の制御が出来るのか」
「大丈夫よ、心配性ね。彼女達が制御するのはあくまでリン・トオサカの魔術回路。ろくに意識がない相手なら、失敗作の中でも特に魔術に秀でているあの子達なら平気。そもそも、人間の彼女に令呪の強制力に打ち勝つことはできないわ。命令が単純な“自由意識なき人形になれ”というものならなおさら」
「そうか」
「ん、そう」

 そこまで言うと、巨漢――ランサー――の、腕の中の白い少女は目蓋を閉じた。

「今日は時間ね。明日は忙しくなるから」
「ああ」

 スイッチが切れたように動かなくなる少女。その顔は寝顔と呼ぶにはあまりに人形的。生気というものが微塵もない。
 彼女のそれは眠りではなく、ただの機能停止。
 道具として作られた存在故の特異。

「今は眠れ。今宵は久しぶりに安らかな夜だ、フィリスヘレナ」

 ランサーはそのままそこに立ち続けた。







 夜半過ぎから降り始めた雨の音が遠坂邸地下室まで届く。
 思ったより激しい雨はしかし、魔術師の集中を妨げるには及ばない。
 魔法陣の構成は完璧。触媒には歴史書を使用。
 詠唱に失敗は無し。
 よって召喚は成功されると思われる。
 爆散するエーテルの竜巻。
 跡には屹立する一つの存在。

「キャスター。真名、卑弥呼。求めに応じ降臨した。汝が妾の主かの?」

 今で言う所の巫女のような出で立ちのサーヴァントが召喚主、間桐桜に問いかける。
 赤味がかった黒髪と切れ長の目が涼しげに桜を見つめる。
 女王の、あるいは神のごとき威厳がその端々から溢れ出る。
 召喚に成功した桜は額に脂汗を滲ませながらも笑みを浮かべた。

「はい、そうです。わたしが貴女のマスターです。私に力を貸してください。戦わなくちゃいけないんです」







 気付くとそこは薄雪が積もる剣の墓場だった。
 紅い空から冷たくない雪が降り続ける無音の大地。
 何処、と考えるまでもない。
 固有結界、“無限の剣製”。
 俺の心象風景の具現。
 無意識に動く足元からは新雪を踏みしめる、キュッキュッという音がする。
 目に映るのは全て剣のみ。
 その百を数える剣が残らず鳴っていた。
 ある剣は高音を、ある刀は低音を鳴らしながら震えていた。
 何かに共鳴するかのように。
 何かを共鳴させるかのように。
 音が大きくなっていくにつれ、見たことが無い剣が墓標に連なり始める。
 初めはぼんやりと。少しずつはっきりと姿を見せる初見の剣達。
 この世界に見たことが無い剣が存在するはずがなかった。
 だかしかし、剣は確かに増え、その中央に異形の剣があった。
 鉱石を削って作ったような無骨な剣。何も感じない透明な空の剣。
 共鳴する剣によりいつしか大地に一大合唱が起きていた。
 その真ん中に一際異彩を放つ一本の剣。
 それに手を伸ばし触れた途端――――全身が串刺しになった。
 大剣、短剣、騎士剣、日本刀、中華刀、騎槍……。
 新旧問わず赤い白銀の大地に立つ全ての剣に、ありえないことに自分の内側から貫かれた。
 自分を中心にして咲く朱の花。
 口から血が溢れる。意識にひびが入る。視界がぐるぐると回り――――。

 跳ね起きていた。
 全身が汗に塗れて、瘧のようにガタガタと震えていた。
 喉には叫んだ残滓が感じられる。
 体のどこからも剣など生えていない。何度も経験した現象ではあるが、いきなり理由もなく体から剣が生えることなどない。
 何の理由もなく自分の固有結界が暴走するはずがない。
 そう、何の理由もなければ起こり得ない現象だ。

 バタバタバタ……。誰かが駆けて来る音が聞え、扉が叩き開けられた。
 そう言えば自分は見知らぬ部屋で見知らぬベッドに寝ていた。

「シロウ!? 気がついたの!」

 そこにいたのは銀の少女。そう、名前は………イリヤ。イリヤスフィール。
 俺の名前は……衛宮士郎。

 イリヤが次々とまくし立てる。俺が数日間意識不明だったこと。ここが教会で、シスターが治療に当たってくれたこと。俺とイリヤの両方に令呪の兆候が見られたこと。
 随分と興奮しているらしく、言っていることがまとまらない。
 それに気付くまでも無く、泣きそうな声を聞くだけでどれだけ心配されていたのかよく分かった。

「ん、心配かけたな……」

 くしゃ、とイリヤの頭を撫でた。いきなりだったので少し恥ずかしそうな様子だけど嬉しがっているのがよく分かる。
 目を細めて気持ちよさそうにしている……それもよく分かる。今までがそうだったように今もまたそうなのが。
 だけど、俺の意識は別の所にあった。
 自分が見た夢、それが一体何を意味するのかがまるで分からなかった。
 ただ、自分の内側で鋼がうごめく感覚だけが、静かに続いていた。







 夕方、士郎とイリヤは教会を去ることにした。
 夜になる前に衛宮邸に戻り、サーヴァント召喚の用意がしたい、とイリヤが言い出したからだった。

「え、教会(ココ)で召喚していいんじゃないか? 言峰みたいな奴ならともかく、センリさんになら召喚を見られても別に構わないと思うけど」
「い・や。絶対に、いや。召喚の儀式をわざわざ他人に見せるなんて正気を疑ってもいい?」
「……なんでさ」
「はぁ〜。あのねシロウ。魔術は秘するべきものなの、知っているでしょう。それは魔術師同士でも同じ。自分の手の内を、しかも聖杯戦争で、明かすなんて愚の骨頂、へのかっぱよ!」
「日本語間違っている。後で辞書を引けよ。それに、センリさんは教会の代行者だから魔術師じゃ――」
「ファイヤー!」

 ボン、と音を立てて士郎の白髪に火が付いた。犯人はシスター・センリ。
 実に楽しそうに凶行に及んだ放火犯はチチチと指を振り。

「代行者だから魔術師でないなんてことはないですの。それはシロウちゃんもご存知でしてよ?」
「アチチ――――。そりゃそうですけど、基本的に代行者は洗礼詠唱しか許されていないはずですよ」
「規則を気にしていたら仕事になりませんの」
「うわぁ不良だぁ」

 そりゃ言峰も魔術師だったけどさー、と士郎。代行者ってこんなんばっかなのか、なんでさ。

「あはは、で、シロウ。魔術師云々は置いといても、センリさんが敵になる可能性もあるし、わたしとしては家で召喚をしいたの。分かってくれるでしょう?」
「あー、うん分かった。言峰の奴の例もあるしな。監督役といえども万全を期したいってことか……。すみません、センリさん。そういうことですので」
「ええ、それは仕方ありませんの。ワタシも理解していますのよ。でも、シロウちゃんはともかくイリヤちゃんみたいな女の子がマスターなんて心配ですの。ワタシにマスターを譲ってもらえれば安全でしてよ?」
「ええ、それは俺もなんですけど……」
「マスターとしては、わたしはシロウの何倍も優れているわ。リンだって比べ物にならないもの」
「そうなのですか?」
「そうよ、シロウなんてわたしの一不可説不可説転分の一よ」
「なんでさ」

 さっきからそればっかり言っているよシロウ。
 えへんと胸を張るイリヤ――桜の仕草がうつったみたいだ――を横目に見ながら。

「俺もついていますし、イリヤにサーヴァントがついたら一対一なら絶対負けません。敵対したことがある俺だから分かるんです。イリヤは最強のマスターだ」
「いやだシロウ。そんなあからさまに褒められたら照れるじゃない……」

 頬を押さえてイヤンイヤンと体を振るイリヤ。こんなイリヤ、見たことない。
 思いっきり怪訝(ドン引き)な顔をする士郎に。

「(ヒソヒソ)イリヤちゃん、ずっとアナタの心配していたのですよ」
「(コソコソ)――反動、ですか」
「(ヒソヒソ)そうですわ。よくできました」
「(コソコソ)はあ……。(なんで褒められるんだろう)」

 それで会話を切り上げて教会を後にする二人。見送るセンリが桜にかけたのと同じ言葉をかける。

「いつでもマスターを代わります! 無理をしないで下さいね!」

 大丈夫、と手を振るイリヤに、小さく、センリ以外の誰にも聞えない声でセンリが呟く。

「マスターを続けたら、死んじゃいますよ」







 夕焼けの街を歩く影二つ。
 片方は大きく、もう一人は小さく見える。
 士郎とイリヤだ。

「あー、じゃ、やっぱりヘラクレスを喚ぶのか」
「うん、シスターはセイバーとアーチャーはまだ召喚されていない、って言っていたから。ヘラクレスをアーチャーで。それで士郎がアーサーを喚べば最強よ」
「……そう、なるか」
「彼女は嫌?」
「……」
「くすくす。顔に出過だよ。戦わせたくない、てね」
「……なあイリヤ。ヘラクレスがセイバーじゃだめか?」
「んー、ダメってことはないけど、ヘラクレスの最強の宝具は弓だよ。万全を期したいから。多分……ううん、絶対にいるはずのアインツベルンには負けられないからアーチャーで喚びたい」

 握り締めた拳を睨むイリヤ。士郎はイリヤがアインツベルンでどんな扱いを受けていたのか知らない。彼女が一族にどういう思いを抱いているのか知らない。
 イリヤが話さないのなら自分も聞かない。話したいときはいつでも聞こうと思っている。それが士郎のスタンスだった。
 ただ、彼女が少しでも苦しむのなら無理矢理ででも介入するつもりだ。
 では、今のイリヤは苦しんでいるのか? 見ただけでは分からない。だが、気負っているのは間違いなかった。

「一人で戦おうとか考えるなよ」
「ぶぅ……。昔の士郎じゃないよ。最初から士郎を計算に入れてるってば。例えば、士郎にヘラクレスの石剣を投影してもらいたいから家に戻る、とか」
「あー、そうか。確かにセンリさんの目の前で投影は不味かったな。冬木にいるとそのへんに気付かない。俺の魔術を知っている人ばかりだからな」
「心配ねー。普段はどうなの」
「魔術師が絡んでいる時は極力投影は使わない。逆の時は投影を使ってできるだけ早く終わらせる」
「士郎が投影なしで魔術師に勝てるの!? ウソォ!」
「要は魔術師の戦いにさせなければいいんだ。魔術を使わせず単純暴力を以って制圧する。逆に単純暴力で勝る、例えばテロリストなんかは投影でより強力な暴力を持ってくる」
「ご……強引なのね、意外と」
「そんなもんだ。言葉が届くことはまずない。暴力はより強力な暴力でしか止められない。それでも殺さずに止めたいのならそれ相応の対価が必要になる。等価交換だ。今の俺にその対価はない。永遠に手に入らない可能性も高い」
「それでも諦めないんでしょ?」
「当たり前だ」
「それでこそシロウ。へこたれたりしたらガンドぶちこんでやるんだから」
「はは、きついな、それは」







 歩いてきた道は歎きに満ち、進む道に希望は見えない。
 今立つ点さえも暗黒。
 永遠の停滞に果てなどあるのだろうか。
 崇高で綺麗な理想に惹かれて踏み込んだ荊の道。
 今ではこんなにも汚れた私だけれども。
 祝福はありますか。
 間違っていなかったと胸を張ってもいいですか。







 士郎とイリヤが新都と深山を結ぶ橋を渡る。
 ふと、イリヤが足を止める。そこは前夜、アサシンと黒衣のサーヴァントが戦闘を行った場所であった。

「イリヤ?」
「残留魔力を感じる……。どうやら昨日ここでサーヴァントが戦ったみたいね」
「もう始まっているか。くそ、急ぐぞ。日が沈む前に召喚しておきたい」
「できれば魔力が上がる時間に合わせたいけど、仕方ないわね」

 夕陽はすでに地平線に触れている。サーヴァントが仕掛けてくるのが夜だけとは限らない。だが、昼より夜の方が、危険度が桁違いだ。
 イリヤを抱えた士郎が、足に魔力を流す。強化した脚力で一気に走ろうというのか。
 数日間眠っていた士郎の体は本来の動きには程遠い。だが、強化しておけば、それなりの動きが出来るだろう。
 脚に力を込めた士郎が駆け出そうとしたとき。

「ねえ、お遊びは終わりだよ」

 突如出現した無数の剣が降り注いだ。



 冷水のように浴びせられた殺意により、脳内の撃鉄が上がる。ガチリと音を立てて世界が変貌する。
 死線を潜り抜けるうちに最早条件反射となった反応。
 鈍った体に魔力を流す苦痛が消え去り、精密機械のように状況を判断。
 意識と動作のずれが発生。――修正。
 魔術回路の出力、通常の七十九パーセント。序々に上昇しているが回復には時間が必要。
 迎撃――不可能。迎撃開始から三.五八秒……訂正、三.六一秒後に右十五度、入射角八十度で迫るフルーレに上腕二頭筋を貫通される。
 又、迎撃に専念した場合、足場が破壊され川に転落する可能性が九十九パーセント。
 川の水位は危険域。濁流となっている。ここ二十四時間以内に一定以上の降雨が――思考を中断。
 結論、回避。左に七十五度で跳躍、上の自動車用道路に飛び移るのが最良と判断。

 士郎がそこまで考えるのに費やした時間は刹那にも及ばず、地面を蹴り剣の雨を文字通り間一髪で避けながら、放物線を描いて自動車用道路の二階部分に着地する。
 下では足場が崩れて、濁流に飲まれていた。
 着地した瞬間に、抱えていたイリヤを離し、両手に拳銃を抜く。
 右手にS&W・M500、左手にS&W・M629。全弾装填済み。
 背後ではイリヤが驚きの声を上げる。

「まさか、ここでサーヴァントが仕掛けてきた? ううん、と言うより今のはまるで」

 シロウの投影じゃない……。今の剣は魔術で編まれたものだった。

 彼らの周辺では数十台の車が剣に貫かれてスクラップと化していた。生存者は……期待できそうにない。
 夏が作る陽炎の中から一つ、否、二つの人影が姿を現す。
 大きな影の片腕に抱かれた小柄な人影。
 それが、士郎とイリヤから二十メートル程度の所で止まる。小さい人影が下ろされ、二人に語りかけてきた。
 その小さい人物は、イリヤスフィールと瓜二つだった。
 白の髪。雪のような肌。紅玉の瞳。その特徴だけでなく、顔立ち、放つオーラまでが五年前、士郎が出会ったばかりのイリヤそのものだった。
 唯一異なる点を挙げるとすれば、その少女は外見年齢が当時のイリヤ程ではないということか。
 見た所五歳前後。だが、少女がイリヤスフィールと同じホムンクルスであるのなら、外見年齢と実年齢が一致するとは限らない。

「始めまして。わたしの名前はフィリスヘレナ・フォン・アインツベルン。アインツベルンのマスターであり、此度の有機聖杯。素体番号六八八のホムンクルスよ」

 実にあっさりと、少女は自分の情報を明かした。
 そんな所まで、彼女はイリヤスフィールと似ていた。
 士郎は無言。銃口は少女の背後に立つ巨漢に合わせられている。
 対するイリヤが一歩前に出て、名乗りを上げた。

「わたしは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。前回のアインツベルンのマスターであり、有機聖杯。そして――――今回アインツベルンに敵対する者」

 あちらがアインツベルン本家に与しろ、と言ってくる前に言い切った。わたしは貴方達の敵だ、と。

「生憎だけど、わたしは聖杯にもアインツベルンにも興味はないわ。この苗字だって捨ててもいいくらい。わたしは今の生活が気に入っている。だからそれを乱す貴方達と戦う」

 士郎が目配せをしてくる。下がっていろ、と。
 いきなり敵対宣言をされた白の聖杯はしばし呆気に取られていたが、後に噴き出した。

「あはは、ははは。ナニを言い出すかと思ったら。当然、本家も貴女なんかに興味はないわ。最強の手駒を与えられておきながら、考え無しに暴れまわって無名の英雄にいいようにされた役立たずなんかこっちから願い下げ。というより、まだ聖杯として機能していたらやっかいだからとっとと抹殺するように指令が下っているよ。さ、とっとと済ませましょ」

 そして、背後に待機していた己のサーヴァントに殲滅を命令する。

「やっちゃえ、ランサー!!」

 一陣の風が駆ける。その巨体に似合わず、駆ける姿は平静。装いは僧兵。
 日本人ならすぐに真名に思い至る槍兵のサーヴァントが電光石火の如く迫り来る。

(あの外見……武蔵坊弁慶か!?)

 距離を詰めながら、ランサーが地面から一本の剣を抜く。先ほど降り注いだうちの一本だ。
 士郎のM500とM629が火を噴くが、ランサーの体に傷一つ付けられない。

「くそっ、イリヤ! 俺が時間を稼ぐからサーヴァントを召喚しろ!!」

 それだけ言い、士郎も駆け出す。頭上にヘラクレスの斧剣を投影するのも忘れない。
 だが、その投影が読まれていたというのだろうか、弁慶は携えていた剣を投影されたばかりの斧剣に投げつける。
 サーヴァントが投げた神速の剣は、一撃で斧剣を割り砕き、塵に変えた。

「え、うそ!?」
「ちぃ!!」

 再度投影の時間はない、士郎は、振り下ろされた拳を交差させた拳銃で受け止める。
 両足がアスファルトにめり込む。強化された拳銃と身体は一撃を耐えたが、次は分からない。
 本調子には程遠い肉体がすぐに悲鳴を上げ、息は最初から荒い。

「急げ、イリヤ!」

 再度襲い掛かる拳をM629で受け流しながら、士郎は強化に当てる魔力を増やす。
 三十秒、おそらくはそれが稼げる精一杯の時間だろう。
 読みが一回でも外れれば、三十秒も稼げない。

「ほう、人間の身でサーヴァントと渡り合うか」
「武器も持たないくせによく言うな!」

 朱色の夕陽に紅い火花が散り、一撃毎に士郎の身体から赤い血が散る。
 武器が、武器が必要だった。だが投影魔術を行使するほんのコンマ数秒の時間すら敵は与えない。
 あたかもギリシャ最強の大英雄(ヘラクレス)の召喚に必要な斧剣は投影させぬと言わんばかりに。

「ランサーならとっとと槍を出したらどうだ? それとも薙刀か? 大槌? 大鋸か?」
「ほう、我が真名に至ったか。この短時間でよく」
「あいにくと白髪と褐色の肌(こんなナリ)でも日本人なんでね!」
「そうか、ならば我が七つの武装、使わせて見せろ!」

 士郎が時間稼ぎの言葉を吐く。
 イリヤは、士郎とランサーが交戦を始めた直後には一瞬の混乱から立ち直っていた。
 即時に冷徹な魔術師としての思考に切り替わる。
 なぜこちらの手が読まれていたのか、それを考えるのは後だ。
 触媒は無し――いや、自分の身体に埋め込まれている聖剣の鞘が触媒だ!
 シロウは渋っていたけど、この際文句は言ってられない!!

 手首を噛み切った片手を道路につき、魔力を流し込む。
 傷口から血が流れ、魔力の流れに従って図形を構築し、瞬く間に召喚用の魔法陣が描かれる。
 そこにさらに流し込まれる膨大な魔力。 

 交差した拳銃が軋みを上げ、一秒毎に一歩の後退を余儀なくされ、それ以前に数日間眠っていた肉体が限界を超える。刹那ごとに限界を迎え、それを、命を削る思いで凌ぐ。
 後十秒! 間に合うか、イリヤ!

「告げる、全詠唱省略! 来たれ、天秤の護り手!!」

 精神統一も自己暗示も術式構成もクソもない。第一、魔法陣の構成も自信がない。今まで見た陣を、記憶を頼りに再現しただけだ。
 無茶苦茶な量のエーテルが吹き荒れる。ええい、落ち着け!

 このとき、イリヤはある思い違いをしていた。士郎も同じ思い違いをしていた。
 この召喚の触媒は、イリヤの生命力を補うために彼女の身体に埋められた聖剣の鞘だろうという勘違いだ。
 確かに聖剣の鞘は魔法陣と密接している。
 だが、魔法陣と零距離。まさに魔法陣の上にある、とあるアーティファクトがあった。
 昨夜、黒衣のサーヴァントのマスターがつけていたロザリオ。
 黒衣のサーヴァントの召喚用触媒にも使われたものだが、それが偶然にも魔法陣の上にあった。
 路肩に転がっていたそれが、車両破壊の衝撃で道路の中央近くまで移動したのだが、そんなこと、気付くはずがない。
 この場合、魔法陣との距離が影響するのか、はたまた単なる確率の問題か。
 今回の召喚、触媒に選ばれたのはそのロザリオだった。

 横殴りに振られるランサーの右拳。何十回目かの防御に、とうとう拳銃が限界を迎えた。
 砕けるM500とM629。脇腹にほとんど直撃を受けた士郎の身体が中に浮く。
 続けざまにランサーの膝蹴り。
 防ぐ術はなく、士郎は高々と放物線を描いて、下の川、濁流が暴れる水面に落下する。

 同時、エーテルの嵐が収束し、新たなる人影が生まれた。







 少しだけ間に合わなかった。やられたシロウが落っこちていく。
 ああ、こんなに増えた水かさじゃ、今の、戦いで怪我した士郎が泳げるわけない。
 だけど。シロウは。しっかり目が合ったシロウは言った。

――ダイジョウブ

 声なんか届かなかったけど、口の動きでわかった。目でわかった。顔でわかった。
 シロウはダイジョウブ。
 …………だったら、わたしも大丈夫だ!

 出現したわたしの今回のサーヴァントがこっちを振り返った。







 宙を舞う自分の身体。時間が流れるのが遅く感じる。
 イリヤは間に合ったのか。それだけが気になる。
 だけど、大丈夫だった。見たこともない奴だったけど、その気配でわかった。
 気絶しそうなくらい強烈な魔力、見ただけで斬られそうなくらい鋭利な空気。
 聖杯戦争という歌劇の主役を張るにふさわしい存在。
 イリヤはセイバーのサーヴァントを引き当てた。それだけが確認できれば安心できた。
 最強のマスターと最優のサーヴァントなら、負けることはないだろう。
 だったら次は俺の番だ。
 ここで死ぬわけにはいかない。再び間違った殺し合いが行われるのなら、終わらせなきゃいけない。護りたい人達がいるから戦わなきゃいけない。
 正義の味方がここで負けるわけにはいかない。
 今まで払ってきた犠牲のためにも。
 だから、目が合ったイリヤに言った。

「大丈夫」

 大丈夫、俺は死んだりしないから。

 次は俺の番だ。


 さあ、

 来い、サーヴァント!!







 収束した嵐の向こう側にいたのは一振りの銀だった。
 白い袖なしのドレスは華奢なシルエットを隠し、だが雄弁に物語っていた。
 異彩を放つ白銀の籠手。二本の剣。

 青磁の肌に灰色の瞳。緩やかにウェーブした長い灰金髪(アッシュブロンド)を持つその美しい女性のサーヴァントはイリヤスフィールより一回りほど年上、二十歳程度に見える。

 薄い桃色の唇から、ややハスキーな声が漏れる。
 声は静かで、僅かに憂いを帯びていた。

「サーヴァント・セイバー。召喚に応じ、馳せ参じました。問いましょう、貴女が私のマスターですか」

 再び巻き起こったエーテルの爆音の中で、戦場に舞い降りた奇跡の剣の髪が乱れ踊る。



 正直、息を呑んだ。
 これほどに美しいモノがサーヴァントだというのか。戦いの駒だと言うのか。
 前回のセイバーも美しかった。だが、彼女も決して劣らない。
 アーサーの声が鈴と例えられるのなら、このセイバーは竪琴。落ち着いた潤いを湛えた声。
 興奮に震える息を抑え、夕陽の赤を反射する銀に向かい、わたしは宣言する。此度、最高の銘器を演奏するのはこのイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだと。

「ええ、そうよ。このイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが貴女のマスター。さあ、あのレディ失格を叩きのめして頂戴」

 そしてセイバーは一言「承知しました」と言うと、両手に剣を抜いた。
 右には片手剣。短めの刃と、片手分の長さしかない柄。十字架をモチーフにしたシンプルなシルエット。
 左には逆手に構えた盾剣(マン・ゴーシュ)
 剣を抜く姿も、抜かれる剣が鳴らす音もやはり至高の一品だった。
 罪人に裁きを下す天使のように、セイバーがランサーに歩み寄る。



 無言で向かい合うセイバーとランサー。セイバーの両手には剣。ランサーは右手に大槌。
 既にランサーのマスターは「手加減抜き」を支持している。
 そもそも、ランサーを攻撃させたのは、切羽詰らせたイリヤと士郎にサーヴァントを召喚させるためだった。
 だからある程度手加減はしていたが、士郎の動きが予想以上に鈍っていたので白の少女は少々肝を冷やした。マスターにサーヴァントを召喚される前に死なれたら色々と面倒だ。

 微動だにしない両者。
 銀の天使と、黒金の砲弾の間に張り詰めた沈黙が滞留する。
 セイバーも、ランサー・弁慶も動きの気配も見せない。

 ――次の瞬間には両者の得物が振りぬかれていた。
 予備動作も、交差する武装も両マスターの目では認識できない。
 軌道では水蒸気が爆発し、遅れて発生した衝撃波が橋を削り、スクラップと化していた車が砕け、ガソリンに引火して爆炎を上げる。
 響き渡る金属音。同時に鉄骨がガソリンの爆発により焼かれ始める。
 橋という巨大な建築物が苦しげな悲鳴を上げ、その中で一対のシンバルが繰り返し火花を散らす。
 神速を以って弧を描く刃と同じく神速を以って直線を刻む槌が幾度目かの邂逅を果たし、次の刹那には次の邂逅に別れを告げる。
 夕陽に溶ける火花の動きが酷く遅い。
 音速など忘れ去られた世界ではアスファルトなど、鉄の骨など悲しいくらいに脆い。
 迷い込んだが最期。殲滅の領域ではあらゆるものが切り刻まれ、打ち砕かれ、塵芥と散る。
 その死の中にあって両者無傷。
 ダイヤモンドすら裂く刃は一つも槍兵には届かず槌に弾かれ、金剛石でさえも砕く槌は尽く逸らされ剣に殺される。
 争う、という表現が冒涜的に聞える輪舞の渦で、別の渦が発生する。
 槍兵の槌――思えば矛盾した話だ。槍に於いて最強である存在が、最強の剣と槌で渡り合うとは――が剣兵の盾剣で受け流される。
 戻らずそのまま地面に堕ちる槌。姿勢が僅かに崩れる槍兵。
 その左眼目掛けて衝かれる銀の閃光。
 まるで台本が存在していたのではと感じる程にミクロの差で僧兵が身をよじる。
 額を削り衝き抜かれる剣。
 続いて神速を再現するのは槍兵の左手。T字の錐。何時の間に握っていたのだろう。その尖った先端がこれはセイバーの右眼に襲い掛かる。
 鏡写しのように身をよじり、錐を回避するセイバー。翻るスカートの裾が花を思わせる。

 その勢いで一度跳躍、後退するセイバーとランサー。

「君は中々やりますね、ランサー」
「そちらこそ。見かけによらぬとはよく言ったもの」

 剣を腰溜めに構え突進するセイバー。
 槌を突棒に換装し突進するランサー。
 今度は突きのラッシュか予想されたが――。

「! 戻って、セイバー! 橋が崩れる!」
「わたしが落ちちゃうよ、ランサー」

 人外の戦闘とガソリンの炎により限界を超えた橋が断末魔の悲鳴を上げ崩れた。
 二十メートル近くに渡り崩落する建造物。下の道路が半壊しつつも受け止める。
 決壊の直前に各々のマスターを抱えて後退する剣と槍のサーヴァント。

 新都の側にセイバー。
 深山の側にランサーが残る。

 途切れた戦闘の合間を縫ってサイレンの音が届いた。
 通報を受けた警察・消防が近づいてきている。

「今日はここまでのようね、イリヤスフィール。次会ったら殺してあげる」
「それまで生き残れるかしら? おちびさん」

 互いに一言放ち、槍の主従が戦場を後にする。
 炎上するスクラップだけが後に残り、天から振った剣は消え失せていた。







 ランサーが姿を消すのを確認した途端、イリヤの膝から力が抜けた。

「大丈夫ですか? マスター」
「つ、疲れたー。こんな状況であんな効率の悪い召喚したもんだから……」
「そうですか。ところでマスター。人が集まってきています。姿を隠すべきではないでしょうか」
「え、あ、うん。セイバー、抱えて。腰が抜けちゃった」
「承知しました。では、イリヤスフィール。ここを立ち去ろ……おや?」

 セイバーが地面からロザリオを拾い上げる。

「これは君の物ですか?」
「ううん、違うよ」
「そうですか、どうもこれが触媒のような気がするのですが……」
「こんな所にアーティファクトが落ちているなんて。不思議ね。マスターの誰かの落し物かしら」
「一応君が持っていて下さい」
「分かった」

 そして、セイバーはイリヤを抱えると、大橋から立ち去った。







 つんつん、と誰かが顔をつつく。
 ん、もう起きる時間なのか?
 でもこんな起こし方をする奴なんていたかな。

 づんづん、と誰かが顔をつつく。
 少し痛い。

「ん、なんだ?」

 思わず目を開けると、夜空が目に飛び込んできた。

「あれ、夜?」

 記憶が混乱している。確か……橋で……。

「そ、そうだ、イリヤ!」

 思わず飛び起きようとしたが、体に力が入らない。

「無理よ。魔力も空。体調も最悪。動けるはずがないわよ」

 傍らから声がする。首だけ動かすと、綺麗な金髪を持った子供がいた。

「誰が子供よ、失礼ねぇ。私はサーヴァント・アーチャー。よろしくお願いするわね、若白髪君?」

 そういうと、その子供は握手を求めるように手を伸ばしてきた。
 艶やかな微笑が、妙に印象に残った。



人物設定に「フィリスヘレナ・フォン・アインツベルン」追加
サーヴァント設定に「ランサー」「セイバー」「アーチャー」追加。






後書き
作者:史上最長になりました。
セイバー:今回のゲストは私ということで。恐悦至極に存じます。
作者:はいはい、数ヶ月ぶりに士郎とイリヤ書いたんで違和感が残りましたが、そもそもうちの士郎君のスタンスって絶望していないエミヤっつーか、妙に現実的な所と理想を求める所が混在しているのでイマイチ書きにくいっつーか。基本的には『自分に出来る事は理解しているけど、それでも守りたいもの全部守りたいじゃん』がスタンスです。
セイバー:それを書けてこそSS書きだと思いますが。
作者:うるせぇ。
セイバー:君はそんなことだから……(以下省略

TOPに戻る
二次創作TOPに戻る
inserted by FC2 system